また一つ抜けたか

昨夜、寝る前に彼女は、自分の趣味への並々ならぬこだわりについて「初めて気づいた」と語った。こちらとしては長年にわたってさんざん聞かされ続けてきたことを「自分はそういう人間なのだと初めて気づいた」と言われ、逆に驚かされた。
その後、彼女は驚きのあまり興奮気味になり、布団に潜っても自分の趣味嗜好について熱っぽく語っていた。良くない予兆だと思った。これがエスカレートすると別人格に切り替わり、自分を痛めつけるのが常であったからだ。
しかし、この日は違った。それまでの言動とはつながらない形で
「やっと……」
と一言発したあと、再び元の会話に戻り、直後に頭痛と全身の痛みを訴えた。頭が割れるように痛いのは解離が終わった直後の症状である。質問してみたら、「やっと」と言ったことに自覚はないという。つまり今回は一瞬だけ解離し、すぐに元に戻ったことになる。
別人格が言った「やっと」に続く言葉は何だったのだろう。「やっと解放される」なのだろうか。「やっとたどり着いた」なのだろうか。いずれにせよ彼女は新しい段階に進むことができたのかもしれない。
しかし、本人はそんな「何者かに体を乗っ取られる自分」のことを怖いと感じるようになってきたらしい。僕が言った「ホラー映画いらず」という言葉の意味を実感できるようになったという。
「これって、普通は怖くて男の方が逃げちゃうよね。なんで平気なの?」
「まー、人にできないことをするのが僕だから。あと、世話になったから」
そのまま寝てしまったのだろう、その後の会話は覚えていない。


そして早朝、彼女のうめき声で目が覚めた。
昨夜のこともあるので、またひどい悪夢を見ているのかと心配になり、彼女の顔をのぞき込んだ。眉間にしわを寄せて苦しそうにもがきながら、彼女は懇願するように言った。
「は、鼻毛をボーボーにしれくらさい!!」
あほくさ、心配して損した、二度寝しよう、と思ったら彼女が目を覚ましたので、どんな夢を見ていたのか問い詰めたら、あきれるほど馬鹿馬鹿しい内容だった。鼻毛云々はタイムスリップするための呪文だったという。