自己ののしり

昨夜のこと。風呂上りに患者の様子がおかしかったのだが、「気が付いたら10分間くらいすごい勢いで自分を罵っていた」という。
気分のいい話ではないが、よくよく考えてみればこの程度で済んで良かったと言える。なにしろ昔は言葉の暴力では済まず、拳の雨あられ、果ては鈍器や刃物まで持ち出して自分を痛めつけていたのだから。
そういえば、1月に派手な手首の切りかたをして病院に運んで以来、目立った自傷行為はない。いや、少しはあったか。先日も料理中に包丁を手首に当てている自分に気がつき、あわてて料理をやめたという。
彼女が自分自身を罵る様子は、どう見ても母親のコピーである。何かで失敗したときに、理由を聞かずに罵倒する。フォローは一切ない。出来の悪い子供であると決め付けて罵声を浴びせるだけ。なぜ出来の悪い子供なのか、それは「私が生んだ子供だから」。母親のこの価値観は僕が知る限り数年前まで揺ぎ無いものだった。
今では、あの母親は別人になっている。限りなく普通の人に近づいた。奇跡だ。しかし、実の姉がこれに気づかないことに幻滅はしたが。
それはそうとして、思えば遠くへ来たもんだ。罵るだけで済むんだから。明け方まで自己暴力に付き合わされたりしないんだから。僕も今日まで自分が耐え抜いたことを奇跡だと思う。