彼女の叔母に送ったメール

心配そうに様子を尋ねてきたので書いた返事。「まだ幸せを感じることが許せないのだろうか」という下りを受けて。

今日は二人で買い物に出かけました。幸せを受け取ることは徐々に許せるようになってきているようです。
目下の問題は、彼女の実態と自己像がかけ離れすぎていることです。彼女はあんなにも生真面目で努力家で、しかも人の役に立っているのに、自己評価は役立たず、無能、人間のくず、無駄飯食らい、生き恥さらし、寄生虫、などです。だから、どんなに努力しても報われることがありません。それどころか、自分で自分を許せず、罰を与えます。自分を殴ったり、湯飲みのお茶を頭からかぶったりするのは、無能な自分に罰を与えるという意味合いが強いです。
自傷行為は他にも、他者に向けるべき怒りの矛先を自分に向けている場合もあります。自分のようなお情けで生かされている寄生虫の身分が人を恨むなど身の程知らずだ、と言っています。
現在、このゆがんだ自己像を改善すべく、こちらとしても発言に細心の注意を払いながら彼女と接しています。この試みは徐々に効果を発揮しているようです。
いろいろ試してみてわかったことは、意外と単純なことでした。「よく頑張ったね」と努力を認めてあげることが彼女を健康に近づける特効薬です。こんなに簡単なことなんです。しかし彼女がずっと欲しくてももらえずにいたものです。生まれてこの方、ずっと。
「よくやったね」とほめると、「…そうですか?」と怯えるような顔をする。でも内心は泣きたいほどうれしいんです。
僕はきっと、今、子育てをしています。彼女からは里親と呼ばれています。変な関係ですが、胸を張って言えます。これは子育てです。