釈迦の足跡

 どれくらい前のことだろうか、彼女から「生きることは苦しみだから、輪廻転生などしたくない」という言葉を聞いた。当時は鬱病患者のマイナス思考であると早合点して気にも留めなかったが、これってそのまんま仏教の最終目標ではないか。
 同時に「理想は、何も見えない世界に、何も感じることなく、ただ浮いているだけ」とも。これも病人の戯言と思っていたが、仏教用語の身心都滅ではないか。目指すは涅槃か。
 彼女はこれを十代の頃からの理想だという。仏教について何の知識も持たない子供が、知らず知らずのうちに釈迦の足跡を辿っている。やはり仏教は苦しみの中から生まれた宗教なのか…そんなことを思ってしまう。
 しかし、どんなに厳しい苦行をしても悟りは得られないことを釈迦は知ったという。極端と最良は同じではない。理に叶っているかどうかが重要だという。これは仏教用語で中道と言うらしい。


中道(ちゅうどう)とは、厳しい苦行や、それと反対の快楽主義に走ることなく、目的にかなった適正な修行方法のことをいう。 釈迦は、六年間(一説には七年間)に亙る厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても、これでは悟りを得ることができないとして苦行を捨てた。これを中道を覚ったという。釈尊は、苦行を捨て断食も止めて中道にもとづく修行に励み、遂に目覚めた人(=仏陀)となった。 苦・楽のふたつをニ受(にじゅ)といい、有るとか無いという見解を二辺(にへん)というが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場を中道という。

 事件以後の彼女は、まさに中道を会得しかけているように見える。いや、忘れていたものを取り戻すと言うべきか。
 いやはや、まったく勉強させられる。