ニート論:論壇における僕の立場も含めて

ブログ化しつつある当日記

ブログ化しつつあるのは、はてなだけでなく、この日記もそうなりつつあるようで・・・。
ニートについて素人ながらに思ったことをぽろっと書いてみただけなのですが、滅多にもらえないトラックバックが来たりして、しかもその分量が多くて、いまさらながらにニート問題の重みを感じております。

いろんなコメントやトラックバックを受けて、ようやく僕が明らかにすべき立場が見えてきました。当たり前なのですけど、これを明らかにしておかないと在らぬ誤解を招きかねなくて、危なくてしょうがない。これまでは「どうせただの匿名の日記で、真剣に議論することなどないから」と高を括っていたのですが(そのあたりは日記のタイトルのふざけ具合にもにじみ出ていると思います)、いつの間にか真剣になっておりました。こんな日が来るものなのですね。公開された日記(しかも他人からの言及を受けられる)を書いている時点で、遅かれ早かれこうなる可能性はあったのでしょうけれど。

明らかにしておきたい立場

まず、まかり間違ってもニートを擁護する立場ではないことを最初に書いておきます。かといってバッシングする気もありません。言いたいことも難しいことじゃなくて、「ニートの問題を考えるとき、ニートになった人々をどうこうするだけでは根本的な解決にはならなくて、ニートを生み出すような社会の構造にまで考えが及ぶべき」というのが基本にあります。
ニートの問題に限らず、考えの根底にあるのは、文字に表すならば「己が身を案じ、友と家族の身を案じ、国を憂い(こんな言葉を使うと余計な誤解を招くかな)、未来に目を向ける」でしょうか。
そしてこの日記の文章は、難しく感じる問題を平易な言葉で書くことを目標にしてるので、議論向けではありません。たくさん勉強している方々にとっては物足りないし首をかしげることも多いでしょう。
要するに僕は、問題のさわりの部分を押さえたに過ぎなくて、僕が書いている文章は、取っ掛かりの部分さえつかめない人々*1へのメッセージが大部分を占めます。
こういうのはプロフィールに書いておくべきですかね。

皆さんの文章を読んでいて思ったのですが、見解の違いはあれど、おそらく全員に共通しているのは「これって問題だよね」という問題意識だと思います。社会の構造が云々という見解もほぼ足並みがそろっているように見えます。僕としては、もうそれだけで救われた思いです。もちろん問題は何一つ解決していないので、「あー良かった」などと言っている場合ではないのですが。

*1:一体どれくらいのそのような人々がこの日記を読んでいるのか分かりません。カウンタの増え方を見る限り、読者数は少ないと思いますが。