ニート論それから

僕が思っている事とほぼ同じ事を思っている人が、僕の文章を採用してくださった(id:demian:20050618)。「素人です」と謙遜しておられるが、間違いなく僕よりはたくさん勉強している様子。先日書けなかった事をいろいろと代弁してくれております。勝ち組や競争についての思惑、そして最終的に行き着く国づくりの方向性についても似通っていんじゃないでしょうか。
そして、当日記ではおなじみ(?)のid:tomonya:20050618には、先日の補足および先の展望(要望)がたっぷりと(本人は書き足りてなさそうな予感)。僕がほしい言葉の最たるものは「本来なら生存できない人に生存のチャンスが与えられることこそが近代社会の効用だから」。ようするに「前近代的なトホホな理由(餓死とか戦死とかその他色々)で死なずに済む」、これもまた「汗水たらしてがつがつ働かなくても生きていける」と同じく、昔の人の夢だったのではないかと思うのです。
そうして近代国家を標榜したときに道しるべとして分かりやすかったのが「経済や教育や技術といったものの発展」だったのは想像に難くないですが、同時に「裕福になれば生活の心配が消える」と多くの人が思ったのも想像に難くないです。そこまでは間違いではないと思うのですが、その「裕福」の内容が金銭に偏りすぎているところから現代社会の様々な問題が噴出しているように見えます。
出展は忘れましたが、「世の中の問題の8割程度はお金で解決できるが、2割はお金では解決できない」んだそうで。この比率を見ればやっぱりお金は重要であり、これを書いている僕だってお金はほしいのですが、どうも世の中、お金で解決できない2割と向き合おうとせず、「無かったこと」にしちゃってる人が結構な数に上るんじゃないかなぁと思うのです。「そんなこと言ったってしょうがないし」みたいな感じで。あきらめるだけならまだいいんですけど、別のことで満たそうとする場合も多いんですよね。買い物とか、食べ物とか、お酒とか、娯楽(ゲーム、遊園地、ギャンブル、風俗)とか。んで、それらはお金で買える物だったりします。


書きかけだけど午前2時を回ったので寝ます。すみません。