友人

実を言うと数日前から鬱持ちの友人が遊びに来ている。ネガティブだがいいやつだ。
「俺が死んだら葬式に来てくれる?」
「さあわからん。行けそうなら行くと思う。仕事との兼ね合いだなぁ。でもなあ、今のままだと、『お前が死んで悲しい』っていう気持ちより『こいつはこんなネガティブで楽しくないまま人生を終えたのか、こいつの人生にどれだけの楽しみがあったんだろうか』っていう、やるせなさのほうが大きいぞ」
こんな会話をしたりする。
この男は疲れている。そして愛情に飢えている。それが救いようもなく永遠に続くであろう事も本人は自覚している。自覚しているからこそ絶望は深まる。
そのくせ、自分が真面目だということには自覚がない。こちらからは再三に渡って「お前はまじめすぎる」と言い続けているのだが、なかなか理解してもらえないようだ。その真面目さが自分を縛る鎖だというのに。
今日、ここにこうして書き記す。早いところ自分は真面目だということにしてくれ。死んでも悲しんでやらないぞ。