あらしのよるに

風吹き荒れる真夜中、うちの患者さんが寝付けずにいた。
理由は風のせいではなかった。重苦しい不穏な何かが横から押し寄せてくると言う。
やがて外が騒がしくなってきた。隣の玄関のドアが何度も開け閉めされている。
不審に思い、忍び足で玄関に近づくと、ドアの向こうで男の話し声がした。息を殺しながらドアに近づき、のぞき穴から外を見ると、そこには2人の警察官が居た。
片方の警察官が電話をしていた。おそらく隣の奥さんのことだろう。精神的に不安定、包丁を握りしめて云々、暴れた様子はない、という言葉が聞き取れた。やがて2台のパトカーが静かに到着した。
僕とお隣は深い付き合いはないが、隣の奥さんのことは大まかに把握している。いつぞやは隣の奥さんが階段から落ちて後頭部から血を流しながら「病院に連れて行ってください」とせがんできたので、車に乗せて連れて行った事がある。他にも、必死な形相で「救急車を呼んで下さい」とせがまれたこともある。隣人に頼らず救急車を呼べと言われたそうだ。
尋常ではないと思っていたが、つい先日、隣の奥さんが鬱病であることを、長老から聞かされた。そして今日の顛末である。
しばらくして、奥さんは護送されるべく身支度を調えて、パトカーへと誘導されていった。どこにも怪我はないようだった。
「真ん中に乗って下さい。後部座席は3人乗りますから」
疑う様子もなく隣の奥さんはパトカーの後部座席に乗り込み、間もなくパトカーは発進した。
警察が来たことにも驚いたが、隣の奥さんの異変を分厚いコンクリートの壁越しに察知する我が家の患者さんの知覚には恐怖すら覚えるし、なにより本人が自分の能力に恐怖していた。