誰が「普通の子」の幸せを考えるのか


筆者に考える機会を与えてくれたのは、またも吉田功さんの言葉だった。

「誤解される言い方かもしれないけれども……この世に生まれて、誰もが総理大臣や弁護士や医者や大会社の社長になれるわけじゃない。たまたま小さな田舎町に生まれた。家はお金持ちじゃない。勉強はあまり好きじゃない。特別な才能があるわけじゃない。そんな子もたくさんいる。むしろそっちの方が多数派でしょう」

「日本が右肩上がりの時代にはなんとかなった。そんな連中も、本人なりに頑張れば幸せになれた。でもこれからはそんなに甘くない。誰かが、彼ら彼女らの幸せな人生を真剣に考えなくちゃ。そのための教育が必要なんじゃないですか。ところがいまの教育論は、肝心のそこを忘れているんじゃないか」

この取り組みが成功すれば、やがて地味ながらも生命力の強い地方都市になるだろう。うらやましい。
一口に「地域に魅力がない」といっても内訳は様々であるが、産業的な魅力だけでなく人間的な魅力もあると思う。いずれにせよ地域を信用できなければ若者は引きこもるか出て行くかどちらかだ。その先に幸せがあるかどうかも分からないというのに。「おらこんな村いやだ」状態である。東京でべごは飼えない。

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IKZOかっけー、はんぱねー。