見える結果、見えない結果

id:masako1009さんからトラックバックをいただいている。時間が無くて反応できなくてごめんなさいね。
さて、何か言いたいのだが、何から言おうか。
形や数字で表せる結果は誰にも分かりやすいから、多くの人はそういう結果を求めがち。特に、誰かに認められたい・説得したい場合は、なおさら依存しちゃうかもね。中でも親子関係は代表例だったりする。精神科の先生もそんなことを言ってそうな気がする。
そんで、まあ、「いまさらどないせえっちゅうねん」というのも、至極もっともな感想。道はあるのだが、どれも険しい。人によっては何もかも放り出して逃げちゃったり開き直ったりするんだけど、性格的にそれができない人間は苦境に立たされる。
端的に言ってしまえば真面目なのだ。真面目だから何をするにも理由が必要だし、価値の無い物の存在意義を認められないし、結果が出ないと安心できない。叔父もそうだったけれど、鬱病になる人は基本的に真面目。僕も開き直るのが遅かったら今頃は重病人だったかもね。
この日記によく来る「や」の人も鬱持ちで、僕が幾度となく「おまえは真面目だから」と言っても、いつまでたっても信じてくれない。同じ大学(地方の三流大学だが)を卒業しながら、同年代の半分以下くらいの給料でダラダラ働いている僕と違い、世間的には第一線と呼べる重要な仕事に携わりつつも、まったくその自覚が無く、常に自分にダメ人間の烙印を押しまくっている。真面目で心配性なのがたたって、薬の量がいつまでたっても減らない。
人として守らなくちゃならない基準が高めに設定されているのね。だから、ちょっと堕落を感じただけで「いけないことをしている」なんて思っちゃう。あてがはずれると「もうだめだ」と思っちゃう。
もう夜中になっちゃったから、そろそろ落ちをつけようかな。
それでは、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席。いや笑えないから。ここで落語なんて無理矢理すぎるから。

楽に生きても良いんでしょうか?楽に生きても良い理由や根拠が…ああ、また悪い癖が。頭では「そんなん理由とか根拠とかの問題じゃない」って分かってはいるんですが、なかなか上手くいきません。

もうね、いきなり「楽になろうよ」とか「自由になろうよ」とか「開き直ろうよ」と言っても心がついてこないだろうから、あえて理由をつけちゃうのも一つの手じゃないかな、と思う。
こんなときには古典的なアレを持ち出すのが美しい成り行きで御座います。
皆様ご存知のアレでございます。
さあ御一緒に。
にんげんだもの
「薬に生きたっていいじゃないか。病人だもの。」
これが理由でございます。
お後がよろしいようで。
いや良くないって。こんなんで締められたら困るって。面白くないし。
あ、ひとつ言い忘れてた。可能性は開きまくりだから心配しなくていいよ。ただ、今のあなたが認識している可能性とはずいぶん違って、「そんなんでいいの!?」と思っちゃうようなことかもしれない。そこはパラダイムシフトが必要かもね。